社会学とは何か―はじめに2(5633字) 

 冒頭の自己紹介にも書きましたが、私は社会学、とりわけその中でも社会調査をしている人間です。そのため自分が対象としているフィールドに出かけ、住民の方々の話をお聞きする機会が多いのですが、逆質問というか、「どういうことをしている人なの?」という疑問を向けられることが多いのです(これに対して研究者の方々は、それぞれの回答を用意していると思います)

 

 きっとこれはフィールドに出かけることの多い研究者は誰しも経験したことがあるはずですが、こと社会学においては多いかもしれません。というのも、社会学という学問は何をしているのかということが―それこそこういった書き出しが教科書においてよく見かけるものになるくらい―分かりにくいからです。

 経済学であれば「お金の動きとか、経済について研究しているんだな」と分かるし、政治学であれば「あの政治家たちとか、外交とかについて研究しているんだな」とイメージはつかみやすいはずです。法学は馴染みがない分だけ分かりづらいかもしれませんが、法律についての専門家だというくらいは分かるはずです。では社会学は?

 

1.社会学とは何か

 

 上にあげた学問が分かりやすいのは、ずばり「何を対象とする学問かが名称に入っているし、その範囲が比較的限定されているから」です。一方で社会学とは社会を研究する学問なのですが、その社会というのが分かりにくいわけです。

 ちょうど今、私が記事を書いているパソコンの横に社会学のテキストがありました。『社会学の力』という本です。*1。冒頭にこう書いてあります。

 

社会学という学問が,「社会についての学問」であることは言うまでもありません。しかし「社会についての学問だ」と言った瞬間に,「それでは社会とは何か」という問いが生まれます(友枝ほか2017:i)

 

 社会学とは社会を研究する学問なのですが、その「社会」というのがやっかいです。皆さんは社会とは何か、と問われて、それについて説明することができますか?

 私なりの説明は次のようなものです。社会とは「人と人とが関係しあって生きることによって生じる、ルールや習慣、上下関係や格差、利害関係を内包した集合行為の単位」のことです。 

 

 別の説明をしましょう。社会とは「空間的広がり」でしょうか?例えば○○県は社会でしょうか、日本は社会でしょうか、あるいは△△集落は社会でしょうか?おそらくそこに、人と人とのやりとりがあるならば社会でしょう。そして人と人とがやりとりを始めると、そこにはある種の「秩序」が生まれます。秩序とは繰り返し現れるパターンです。「うちの村では月の初めの日曜日に、集会を行う。そこで季節ごとの祭りや町内イベントの役員を代表が決め、役割を分担し、出し物などを話し合う」というのは、秩序です。そうしたほうが「やりやすい」と思われるから、あるいは今までそうしてきたから、そうします。社会学とはこうした、ある特定の空間的な範囲に出現する秩序の形、なりたちを明らかにします(もっと詳しくいうと、こうしたパターンが生まれた後、ずっと同じことが繰り返されるのでは社会が変わりません。それを何かしらの形で変える出来事、変える人が出てくる…つまり「逸脱」が生じるから社会は変化していくのです。社会学はそうした逸脱も研究してきました)

 

 一方で次のような場合はどうでしょう。最近はFacebookTwitter、その他様々なインターネットで人々のやりとりが生じています。これは「社会」でしょうか?

 実はこれも社会です。そこには人々がやりとりをする決まった、いくつかのパターンや目的、利害、上下関係、格差といったものが発生しうるからです。いや、これは正確な説明ではありません。人々が関係しあうことで、そこにある種のルールが生まれる時、それを研究するのが社会学であり、社会学がそこに「社会を見出す」のです。だからそこが目に見えるような場所であるとか、限定的な空間であるとか、そういったことは本質的に関係がありません。

 

 少しわかりにくい話になってしまいました。要はこうです。社会というのはそもそも「目に見えない」ものです。物理的に社会というものを捉えることはできません。

 目に見えないものであり、触れることができないものである以上、それは人々が「そこに社会=人々の営み、がある!」と見なさないことには、存在しえないものである、ということです(これも一つの立ち位置、理解の仕方にすぎませんが)。ですから社会学者とは、まず、そのような形で、人と人との営みのありかを探す職業であるのです。そこに人が関係しあって、ある種の決まり事が、差異が、問題が生じている。それを見つけた地点に社会はできます。というより、その発見がないと、そこが社会だと見なせないですね。社会学者は様々な人々のつながりとそのルールを発見する「観測者」である、と言うことができそうです。

 

 例を挙げましょう。皆さんは「コミケ」というものをご存知でしょうか?コミケとはコミック・マーケットの略称です。基本的には出版社や制作会社に属さないような個人やサークルが、自主制作した漫画やアニメーション、グッズなどを販売する一日~数日の市場のことです。そこには80年代の後半から「オタク」と呼ばれた各分野のマニアが集い、アマチュアが二次制作した作品を売ったり買ったりしていました(オタクの定義も時代と共に変わってきたと思います。最近ではマニアでなくとも○○オタクと言うことは珍しくないですよね)。ではどのくらいの人々が、どのような作品を、どのような形で商品にして、消費しているのでしょうか?一人がそういったことをしているのではなく、多くの人がそうしています。現在はコミケの動員数は複数日の場合、100万人を超えています。また当日会場に並び立つブースには人気のものもあれば、そうでないものもあります。何が基準なのでしょうか?流行りのアニメもあれば、元々が同人作品であったゲームや漫画のブースもたくさんあります。

 人々が何事かに引き寄せられるようにして、集合行動をしている。そこには何かしらのメカニズムが働いているはずだ。バラバラな個人がその数日間は特定の場所に集い、一緒になって「祭り」を楽しんでいる。「コミケ社会学」が成立するゆえんです。

 社会現象には理由があります。なぜそのようなことが生じるのか、どのような形で生じるのか、調べることができます。それができるのは、そこに「社会がある」と見なせるからです。繰り返しますが、社会学は人々の集合行動を見つけ、そこに社会を見つけ出し、社会であるがゆえに生じるパターンや問題を見つけ出す学問なのです。

 

2.社会学の目的とは?

 

 さて、社会学がそのような形で「集合行為としての社会」を見つけ出す学問であることを見てきました。現在、この社会学という学問領域には様々なものがあります。地域社会学、都市社会学、政治社会学、宗教社会学、教育社会学、医療社会学、労働社会学、文化社会学、経済社会学などです。

 人々が一緒になって何かをするとき、それはいつもバラバラでランダムに行われるわけではありません。宗教には経典がありますし、破ってはならない戒律がありますね。経済活動には習慣的な行動や法的な拘束があります。病院という空間は日常的な生活空間とは別のルールがあります。普段とは異なる服装をして、限られた行動範囲を動き、定められた規則や「直さなきゃ」「できるだけ長く生きなければ」といった物語に支配される空間である、とも言われます。

 

 ではこうした形で社会学が人々の集合的な行動を観察し、そのメカニズムを明らかにしようとする目的は何でしょうか?

 もちろん、それぞれの分野、それぞれの研究者に言い分があるはずですし、それで問題はありません。なぜそれを知ろうと思ったのかは、個人によって異なるはずだからです。私は次のように考えています。まず抽象的な話からです。

 

 「人々がある形で行為する、その法則性や決まりを知り、その原因を考えることで、それを維持したり変えたりする方法を考えることができるようになるから」

 

 例えば人々が投票に行かなくなった、とします(実際に若者を中心に投票率は下がっています)。社会学はこのメカニズムを探ります。どういう人がとりわけ行かなくなったのだろう、それによってどんな問題が起こるだろう、行く人はどういう理由で行くのだろう、どうやったらテコ入れをできるだろう、と考えていきます。あるいは別の仕組みを考えるかもしれませんね。投票はネットでとか、そもそも成人したら投票する権利を自動的に得られる、というのは止めよう、と考えることもできます。また次のようにも説明できます。

 

 「人は様々な理由、様々なきっかけで、ある種の行動を行う。社会学はそのような“他者”の行動が、いかなる理由で行われるのかを明らかにする学問であり、その理解は、人々が共に生きていくうえで重要な情報である」

 

 これは非常に分かりにくい話だと思います。なのでもっと小さな事例で説明してみたと思います。例えば次のような話です。

  

 A君はB君のことが気に入りません。二人は高校の同級生で、同じバスケットボール部に所属しています。あるときからB君は部活に来なくなりました。優秀な選手だったB君が抜けて、チームの力や士気が下がり、主将であるA君はそのことが不満でした。なぜ部活に来なくなったのか、B君に問いただしてもB君は答えません。そのことも不満で仕方がありませんでした。

 ある時、A君はB君が部活に来なくなった理由を知りました。B君はアルバイトをしていたのです。B君の父親はガンで亡くなっていました。年下の兄弟の学費や生活費をまかなうために、B君は部活に出るのではなくアルバイトをしていたのです。

 この時からA君はB君に不満を言うことをやめました。そして数年後、再会した時に、なぜそのことを相談してくれなかったのかをA君は問いただしました。B君は次のように答えました。

 「父親が亡くなったことを理由に部活を頑張れなくなったって、言いたくなかった。同情されたくなかったし、申し訳ない気持ちもあって、言い出せなかった」

 A君はB君の性格も考えて納得しました。「話してほしかったけれど、家族が亡くなったこと、貧しくなって自分が働かざるを得なくなったことなんて、いつもふざけあって過ごしてた友達に知ってほしくないかもしれないな…」

 

 これは小さな関係性の中での話です。しかしここに凝縮されているのは、「知らないということが人を責める理由になり、知ることが人を受け入れるきっかけになる」可能性についてです。私たちが人やグループについて知っていることはわずかです。そのわずかな情報から、時に独断と偏見で人を判断し、責めたり過剰に愛したりするものなのです。

 社会学という学問は様々な視点から、様々な対象について「知ること」を促す学問です。人が共に暮らす中で起きてくる対立は「知らない」こと、それゆえに生じる恐怖や不信、誤解、無関心から生まれるはずです。だから社会学という学問は、問題が生じてくるメカニズムを明らかにするとともに、知らないを「分かる」に変えていく、それも特定の分野に限らずに様々な人と人との結びつきの局面で変えていく学問なのだと言えます。これは社会学固有の使命です。なぜなら、物理法則が分かっても、金の回り方がわかっても、法律の裁判における適用過程がわかっても、他者の理解は進まないからです(もちろん、それぞれの学問にはそれぞれの意味があるわけです)。ゆえに社会学アイデンティティの一つとして、他者の理解ということがあげられるのです。犯罪はどのような理由で起こったのか、生活が苦しい人はなぜ苦しいのか、人はなぜ「不良」になっていくのか、地域が衰退していく理由とは何なのか…。そういったことを社会学は人の営みの、連綿たる連なりの帰結として明らかにしていきます。

 

3.まとめ

 

 少し長くなってしまいましたので、ここで話をまとめておきましょう。

 社会学とは特定の空間に限らず生じる人々の共同行為を対象として、そのパターンや問題性を明らかにする学問です。あるいは人々の新しい相互行為を見つけ出し、新しい社会の新しい営みのメカニズムから、社会をより豊かに描き出す学問と言ってよいかと思います。

 そしてその目的は、そのようなメカニズムの解読を通して、その原因やプロセスを変えていく、維持していく方法を考えるためです。さらにそのようにして生み出される知識は、人々にとっての「知られざる他者」を理解することに役立ちます。無理解が遠慮のない暴力や排斥を生むことなく、理解したうえで共に解決策を考えられるような、そうした知識の産出を目指しています。

 

 こう言ってみると、何か崇高なことをしているように見られるかもしれませんが、そんなことはないと思います。物理学が人間を含んで取り巻く環境に働く力を(認知しうる限りで)数学的に明らかにするとすれば、社会学とは人間にとって「意味がありそうな出来事や行為を拾い上げて、その仕組みや動機を理解する」という、徹底的に人間の「社会・他者認識」に依存した学問なのです。難しい言い方をすれば客観的な実在を仮定するのではなく、人間の主観的な意味付けと行為パターンについての考究が社会学です。

 

 ではそうした社会学は、どのような方法で進められていくのでしょうか?次回の記事はそのことについて書きたいと思います。とりわけ私の専門である社会調査について詳しく書いて、本ブログの導入編は終わりたいと思います。

 

 それではまた。

 

                          2018年8月30日:3時25分

*1:友枝敏雄・浜日出夫・山田真茂留 編(2017)『社会学の力―最重要概念・命題集』有斐閣